春にして君を想う(1994年公開)
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シネマライズで上映しているなら観て損はないっ!
かつて『ぴあシネマクラブ』という、とんでもなく分厚い年鑑のような本があったのを覚えていますか。2008年まで20年以上にわたり発刊されおり、キネマ旬報社の『映画ビデオイヤーブック』とともに、劇場公開映画の資料として重宝したものです。その1994年版の巻末に、業界関係者が選ぶベスト10なるコーナーがあり、当時某社の映画宣伝課にいた私が偉そうに10本選んでいるんです! 何を選んだか忘れてしまいましたが、確か1位にした作品がこの『春にして君を想う』でした。当時はシネマライズで上映しているなら観て損はないという価値観があり、あまり深く考えず観に行った記憶があります。
観終わってすぐの感想は「重い!」。何せ、社会や家族に馴染めなくなった79歳と78歳の老人カップルの逃避行を描いている上に、舞台がアイスランドということもあり全編寒々しい景色ばかり。20代の若造としては正しい反応だったと思います。ただ、不思議なもので時間が経つにつれ余韻というか、ジワジワとうまく表現できない充足感に包まれたのです。殺風景な景色の中にも暖かい色彩があったことに和み、非現実な描写が妙にリアルと感じたり、仕舞いには、暴挙とも言える老カップルの道行を羨ましいとさえ思ったのです。最後にヴェンダースの『ベルリン 天使の詩』とリンクするのも意外な驚きとして、胸に残りました。
『春にして君を想う』の原題直訳は『自然の子たち』。いい邦題だと思いませんか。小沢健二の曲名にもなっていますが、映画が先です。実はその詩的な邦題には黒歴史があります。最初にVHSビデオで発売されたときのタイトルは『ミッシングエンジェル 無修正版』。なんですかそれ? 90年代というのはレンタルビデオ華やかりし頃で、アクション物なら何でも店頭に並ぶものだから、各メーカーがこれでもかと玉石混淆の作品をリリースしていました。そして、未公開作品はもちろん、公開作品でもタイトルやビジュアルを全く別物に仕立て上げることも日常茶飯事でした。この『春にして〜』のビデオ化権を買った某社は、こともあろうかアクション映画として売り出したのです!キャッチコピーは “もうひとつの『トゥルー・ロマンス』”。いやいや違うでしょう(笑)ジャケットのどこにも老人らの話であることは触れられておらず、逃避行するジープと捜索するヘリのカーチェイス映画にされています。その後のビデオやDVDでは、もとのタイトルとビジュアルに戻されているのでご安心を。
監督は、後に永瀬正敏主演の『コールド・フィーバー』を撮ったフリドリック・トール・フリドリクソン。老女ステラを演じたシグリドゥル・ハーガリンの遺作となっています。

(あらんすみしぃ)

バスケットボール・ダイアリーズ(1996年公開)
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青春と『バスケットボール・ダイヤリーズ』とシネマライズ
「シネマライズで上映するなんてすごい!」
松田龍平くん主演の『青い春』が公開されると聞いた時の私の叫びである。
以前ご縁あって、松田美由紀さんの会社に10年程お世話になっていた。
『青い春』はちょうど龍平くんが美由紀さんの会社に移籍することが決まった頃の作品で、封切りはシネマライズだった。
当時シネマライズは海外のオシャレでイケてる作品しか上映しないという一般認識があって(と私が勝手に思ってるだけかもしれないけど)あと邦画で許されるのは岩井俊二くらいだと思っていた。そんな敷居の高い映画館で封切りなんて、なんてシャレてるんだ『青い春』よ!と思った記憶である。
ただいま40歳の私が学生の頃、つまり20年前は映画館で映画を選ぶのが私のまわりでは流行っていた。シネマライズや恵比寿ガーデンシネマで、親にタイトルを言っても「なんだそりゃ」と言われるような作品を見まくるのが、とにかくカッコイイと思っていたのだ。
ある日、年越しデートでケンカして彼氏と別れ、ヒマを持て余した冬休みを送っていた私は、映画館をハシゴして3本観た。さすがに3本も観ると目が回り気分が悪くなった。1800円を3本観てるんだから、なんてリッチだったんだ、当時の私よ。
その1本が『バスケットボール・ダイアリーズ』。ドラッグを覚え、男にまで体を売ってクスリ代を稼ぐほど堕ちていく青年を演じたレオナルド・ディカプリオはとても美しく、大好きだったリバー・フェニックスを彷彿とさせた。が、あんまりにも暗く嫌なハナシで、気分の悪さにトドメを刺した。
その後バイトに行き(どんだけヒマ持て余してるんだ)バイト仲間に「さすがに酔ったみたいで気持ち悪い」と訴えたら、そんな暗いの観てたら当たり前だ、と冷たく返されたのを昨日のように思い出す。
それからしばらくして私は同じシネマライズでジャン=ピエール・ジュネの『ロストチルドレン』の先行オールナイトを観に行くことになる。先行オールナイト。そう、新しい彼氏とのデートである。ギューギューで立ち見なんかも出る中、待ち時間もモノともしなかった。急にハッピーな作品を選びっぷりが、我ながら分かりやすい。
そして20年。松田龍平くんは〝くん〝より〝さん〝が似合うほどの日本を代表するトップ俳優となり、私は独り身ながら、歩いてシネコンに行ける憧れの街に住み始め、シネマライズは30年の歴史に幕を閉じる。上映前から並ぶ必要がなく楽しめるシネコンは便利だけど、ふとコンシェルジェのようなシネマライズが猛烈に恋しくなるんだろう。
2016年はどんな素敵な作品と出会えるだろう。青春時代をオシャレに色づけてくれたシネマライズで出会うのはもう難しいかもしれないけれど、今年もまたたくさんの映画を映画館で楽しみたいと思う。

(安部実奈)

ブエノスアイレス(1997年公開)
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シネマライズで見た一番思い出深く切ない映画
ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』。シネマライズで見た一番思い出深い映画だ。当時ウォン・カーウァイは『恋する惑星』『天使の涙』などで既に大人気で、ご多分に漏れず私もにわか香港フリークだったが、マイ香港ブームを決定的にしたのが、この『ブエノスアイレス』だ。
この映画に漂うケダルイ空気感は97年当時の(若かった)自分の心の中を映しているようだったし、「香港×アルゼンチン」という意外性、そしてエキゾチックな音楽もたまらなかった。クリストファー・ドイルが撮る映像は言うまでもなく美しく、当然ながら主演のトニー・レオンとレスリー・チャンの魅力。この映画のすべてに夢中になってしまった私は、上映期間中、シネマライズに3度足を運んでしまったほどだ。(ついでに言うと、普段は絶対買わないパンフレットも買い、サントラまで買ってしまった。)
劇中の音楽に話題を移すと、冒頭、印象的に流れるカエターノ・ヴェローゾが歌う「ククルクク・パロマ」。その美しく哀しいメロディと歌声に感動して、ラテン音楽にハマり始めたのもこの映画からだ。ちなみに、この「ククルクク・パロマ」は後に、これも私が熱狂的に好きだった映画『トーク・トゥ・ハー』(ペドロ・アルモドバル監督)でカエターノ・ヴェローゾ本人が登場して劇中で歌うという、うれしいサプライズがあった。
私が『ブエノスアイレス』に魅かれた理由は、同性愛をテーマにした映画ではあるが、同性異性はもはや関係なく、ひとつの「人間愛」が描かれていた点。女性の私にとっては、むしろ女性がいないことで(そう、この映画には女性が出てこない!)、誰かに感情移入や投影をすることなく、冷静にストーリーを追えたのもよかった。私は劇中のトニー・レオンにもレスリー・チャンにも共感することができた。
当時、会社の後輩の京都大学卒エリート候補(♂)にこの映画への熱い思いを語ったところ、「そんなにいいなら僕も見ます!」と張り切って会社を半休して見に行った彼。翌日感想を聞いたら、「えーと…僕はそっち系ではないということが改めてわかりました」という感想にがっかりしたのを覚えている。
当初はトニー・レオン目当てで見た映画だったが、レスリー・チャンの危うげで色っぽい存在感に圧倒された。この映画の6年後に自死し、もうレスリーに会えないという思いが、今もこの映画を見るとますますせつない気持ちにさせるのだった。

(映画会社勤務 Y.Saito)

トガニ 幼き瞳の告発(2012年公開)
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容赦なき韓国映画に出会えた貴重なシアター
人それぞれに映画の楽しみ方はある。私の場合、「“夢”のように突き抜けたエンターテイメント感」か、その真逆の「知らなかった“真実”と出会える衝撃」がそれだ。映画関係の会社に在籍していた頃は、ハリウッド映画にどっぷりと浸かって様々な“夢”を見させてもらった。その後、映画ライターの道に進路を変え、出会ったのがアジア映画。なかでも、“真実”に鋭く斬り込む韓国映画の容赦なき描写には本当にド肝を抜かれた。
2012年の夏、シネマライズでは『母なる証明』(09年秋上映)以来2本目となる韓国映画が上映されようとしていた。『トガニ 幼き瞳の告発』というタブーすぎる事件に基づく実話ということも相まって、シネマライズの座席にもたれて上映を待つ私の気持ちはザワつきを抑えられずにいた。韓流ブームの真っ只中にあって、アジア映画の聖地=シネマートではなく、あえて渋谷のド真ん中というアウェイな地で公開するなんて、イマドキの若者たちにはどのように突き刺さるのだろうか、という興味をかき立てられていたからだ。私の席の両隣も前も後ろも、韓流マダムではなく渋谷系の若い子の姿が目立ち、ミニシアターならではの客層を肌で感じた。映画の題材は、2000年から2005年にかけて、ろう学校の生徒たちが校長や教員らから性的虐待や暴行を日常的に受けていたという許されざる衝撃的事件だ。
劇中、幼い顔立ちの被害者生徒が証人として法廷に立つ。「全部しつけとしてやったことに何の問題があるんだ」と主張する校長や教師の犯罪を立証できるか否かの、最も緊迫の瞬間が訪れる。事件の証拠となる一曲の美しい音楽が、一瞬の静寂を伴って静かに流れ始めた。その時、私をはじめとする観客の誰もが全神経を集中させ、耳の聞こえぬ被害者女児の耳になっているのが分かった。映像と音とで成り立つ映画で、音の存在しない“Silenced”(=本作英題)に感動したのは後にも先にもこれが初めてだった。ちなみに原題の「トガニ」とは「るつぼ」を意味する。本作をきっかけに怒りと哀しみのるつぼと化した韓国では、このような虐待行為を厳罰化する法律を強化し、通称「トガニ法」と呼ばれている。
小っ恥ずかしいほどキラキラした韓流映画ではなく、生々しい“本来の韓国映画”に出会えた貴重なシアターであったという印象は、今も私のなかで消えることはない。

(映画ライター 三輪泰枝)



ホテル・ニューハンプシャー(1986年公開)
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シネマライズがオープンした1986年に出会ったトキメキ
海の見える高台に建つ赤い屋根の白いホテル『ホテル・ニューハンプシャー』。何度も観たこの映画を一体どこで観たのか実は全く覚えていなかったのですが、シネマライズがオープンした1986年の上映作品の中にこの懐かしい作品を見つけた時、何度も足を運んだその場所が開館したばかりのシネマライズだったということに今更ながら驚きと感動を覚えました。
原作は「ガープの世界」でも有名なジョン・アーヴィングの小説。ホテル経営にこだわり続ける父と家族の物語。キャストは、ジョディ・フォスター、ロブ・ロウ、ナスターシャ・キンスキー、マシュー・モディンといずれも当時の若手人気俳優で豪華。とりわけ、ナスターシャ・キンスキーが印象的で『ホテル・ニューハンプシャー』と言えば、今でもまず思い出すのはナスターシャ演じるスージー・ベア。映画『テス』等で有名な美人女優のナスターシャが演じた役の意外性もこの映画の魅力の一つとなっています。
登場人物それぞれが深刻な悩みを抱えている上に、次から次へと災難や悲劇が起こるストーリー展開。それにも関わらずシリアスなことがさらりとコミカルに描かれているので、全編を通して流れる空気は明るく暖かです。それは、ジョン・アーヴィングの世界観そのもので、ボー・ブリッジス演じる父親が言う「人間は素晴らしい。私たちはいくらでも強くなれるんだ。失敗とか失望という試練に出会うたびに強くなる」というセリフに凝縮されています。傷つき、傷つけあいながらも、相手を受け入れる懐の深さと優しさを持った登場人物たち。そんな彼らの明るいたくましさは、何かを乗り越え自分を解放する勇気につながっていて作品の印象を爽やかなものにしています。
数年前カナダへの旅行を計画してケベック州のガイドブックを読み漁っていた際に偶然読んだハドソンという土地の紹介に『ホテル・ニューハンプシャー』のロケ地とあり、光輝く海に面して建つあの赤い屋根の白いホテルがぱっと目に浮かび、行きたいという衝動にかられました。日程の都合でハドソン行きは諦めざるを得なかったのですが、その時に感じたのと同じときめきが今またシネマライズの過去上映作品リストにある『ホテル・ニューハンプシャー』を見てよみがえったのでした。
(レコード会社勤務 Yuko)

シエスタ(1988年公開)
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映画をカッコつけて観に行く場所だったシネマライズ
1月6日(水)翌日の最終営業日となる渋谷シネマライズに向かった。
劇場の前に着き、久々で、前回が何年前で何を観たか・・・ぱっと思い出せない。
「(劇場の)周辺の雰囲気は、あまり変わってないなぁ。」などと思いながら、あの時期の自分にふっと戻っている感覚になった。
よく来る場所(劇場)だったらこんな想いならなかったのだろう。

あの時期とは、、、
本作が公開さされた1988年。
まだ学生で自分にとって考え深い時期にあたる。世間は、バブル絶頂期。そんなご時世とは関係ない苦学生(今は、死語!?)だった自分は、将来の仕事にするんだ?と模索する日々を過ごしていた。そんな学生で有りながら映像会社のアルバイトとしての日々、いろいろな映画会社からLD(レーザーディスク)の商品化素材を受け取りに奔走していた。今では、メールで済むような事を当時は、写真素材からジャケットのデザイン原稿の校正や戻しなど受け取りそして届ける。所謂“制作補助の学生バイト君“だった。
特に映画が好きな訳ではなかったが、タダで映画が見れることが魅力でこのバイトを始めた。キッカケは、学校の掲示板に貼られた求人表だった。何気なく始めたら、、、それがキッカケで後に映画会社で仕事をするようになり、現在の仕事にまで至る。

そんな時期、ある方のアドバイスで貪るように映画を目一杯観ていた。その時期にこの劇場(作品)に出あった。当時、シネマライズという映画館では、親友がバイトしていた。やたらバイトしている事を自慢していたことを覚えている。それが本作を観るキッカケだったのかもしれない。遠い記憶にあり何故観たのかまでは思い出せないが、ただキーアート(ポスター)が印象深かった。

冒頭のエレン・バーキンの赤のドレスで横たわっているシーン。スペインの昼下がりの時間帯“シエスタ“が醸し出す。。。なんかゆったりとしたそれだけで何かを語り掛ける空気感。印象深いのはエレン・バーキンの惜しげもないエロスシーン、そして最後の驚愕のドンデン返しの結末。あとあとにピーター・ウィアー監督ジェフ・ブリッジス主演『フィアレス/恐怖の向こう側』や、M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』に続く?この手の展開がとても切なく苦しかったのを覚えている。

この作品こそ、シネマライズで観たからこそ今でも自分の意識の中で生き続けている作品だと思う。
共演者が豪華、ジョディ・フォスター、ガブリエル・バーン、イザベラ・ロッセリーニ、マーティン・シーン。何気に凄いキャスト!音楽があのマイルス・デイビスも参加・・・これは、記憶に無かった。
そう“シエスタ”というスペインの習慣の意味をこの映画で学んだ。

背伸びして映画を観ていた自分の中では、渋谷の映画館と云えば、ミニシアターの聖地で、ユーロスペースと真逆に位置する映画館としてココは、唯一無二の存在だった。
現在、映画館でバイトしている事自体がカッコよく思える劇場はあるのだろうか・・・? 映画をカッコつけて(背伸びして)観に行く映画館って、あるのだろうか・・・?
そう考えると尚の事、無くなってしまったこの事実は寂しい。簡単に渋谷ミニシアターの時代が終わったとだけとは思いたくない。

追記)今回、調べてみてこの作品がDVD化もされていなかった事に驚愕!ビデオ化も94年、劇場公開から6年後だ。その当時自分がバイトしていたレーザーディスクを発売していた会社からは、直ぐに発売されたはずだったが…。この機会にもう一度見直したいと思い探したが見つからない! VHS、レーザーディスクが中古で出回っているが、肝心のハードが無いから見ることが出来ない。 残念。DVD化を切に希望します。もう一度観たい。
(スポーツ専門TV局勤務 パディントン)


バグダッド・カフェ(1989年公開)
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数年前に監督と生トークが叶った、僕のシネマライズ・デビュー作
1989年3月4日に公開されたこの映画を観に行き、シネマライズデビューしました。公開して間もない頃の平日に大学の友人と行ったのですが、とにかく混んでいて階段で待たされた上に、入れ替えがぐしゃぐしゃで席を確保するのが大変だったと記憶しています。調べたら、6月30日まで17週も上映していたんですね。ミニシアターブームの象徴とも言える映画で、興行的にも大ヒット作だったのです。
5年後の94年に十数分長い《完全版》、20年後の2009年に監督が再監修した《ニュー・ディレクターズ・カット版》が、それぞれリバイバル上映され話題となりました。かれこれ30年近く経つのに、いまだに雑誌(特に女性誌)の映画特集やアーティスト系著名人の好きな映画としてもよく取り上げられる”定番オシャレ映画”の座にいます。そこで、観た人に感想を聞くと、「何がいいんだろう? 音楽かな…」というコメントが多いのです。テーマであるはずの女性同士、白人と黒人の友情を上げる人はあまりいないんですね。実際、この映画の主題歌である『コーリング・ユー』は全世界でヒットし、国内外問わず多くのミュージシャンにカバーされ歌い継がれています。
改めて、この映画の見どころとなると ”許し” がキーワードな気がしています。登場人物のほとんどが少なからず何かに不満を持っていて、とても不安定な関係にいます。ところが、初公開時のパンフで川本三郎さんが”女性版西部劇” と表現しているように、流れ者(ストレンジャー)の登場により、周りが変化していくのです。それまでの日常に希薄だった寛容さが生まれ、お互いを認め合い受け入れる。その”許し”が観るものにとって心地よく感じるのではないでしょうか。
そもそもこの作品は西ドイツ映画で、変わりものの集まりなんです。舞台はカリフォルニアなのに店名がバグダッド・カフェ。白人のジャスミンはドイツからの観光客。黒人のブレンダは恐妻で、若い長男には既に赤ちゃんがいる。長女は白人のバイク野郎がお友達。保安官はネイティブアメリカン。カフェの店主はヒスパニック。お客はトラック野郎たち。住み着いている女性は刺青師。そして、元俳優かもしれない老画家も。(なぜか一切出てこないアジア系)人種も年齢も生業もバラバラな人たちがバグダッド・カフェに集まりお互いの存在を大事にし、変わらない日常こそが幸せと気づく、それがこの映画の魅力ではないでしょうか。そして、忘れてならないのは、一度帰国したジャスミンがアメリカに戻ることを許した(元?)旦那では。
実は数年前、監督のパーシー・アドロンに会ってお話しする機会がありました。この映画が日本のみならず世界中でヒットしたことを喜んではいましたが、あまり過去作品には触れたくないようでした。もう80歳ですが、あと1本くらい撮って欲しいですね。
(あらんすみしぃ)

コックと泥棒、その妻と愛人(1990年公開)
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あの師匠には響かずとも、シネマライズの客席は満杯になった
80年代後半、いわゆるミニシアター全盛期に私がはまったのが、イギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイの作品でした。
初めて観たグリーナウェイ作品は、『ZOO』(87年日本公開)、双子の兄弟が主人公のこの映画は、徹底してシンメトリーにこだわり、動物が腐敗して行く様子を早送りで撮影した異色の作品です。当時ハリウッドの軽〜い80年代ムービーを見慣れていた私は、ストーリー云々ではなく、その実験的な手法とショッキングな映像の連続に強い衝撃を受けました。
その後、『建築家の腹』(88年日本公開)や『数に溺れて』(89年日本公開)が立て続けに上映され、『コックと泥棒、その妻と愛人』(90年日本公開)の上映が決まる頃には、日本でのグリーナウェイ人気はピークとなっていました。
その頃、映画関係の会社で働き出して数年目だった私は、幸運にもこの映画の試写状を入手する機会に恵まれ、当時の配給会社の試写室にドキドキしながら足を運びました。
興味をそそるタイトルとスキャンダラスな予告編で公開前からマスコミ人気も上々、試写室の席はほぼ埋まり、私も無事2列目の席を確保した時、前の席に立川談志師匠が座っているのに気づきました。談志師匠の映画好きは有名でよく試写に来ているという話は聞いていましたが、「へぇーっ、グリーナウェイ作品を観に来るんだ。」とちょっと意外な感じもしました。試写室は満席となり、待望の映画が始まって数分、前の席の談志師匠は、腕を組んだり、首をグルグル回したりとどうも落ち着きがありません。私もそっちが気になって映画になかなか集中できずにいましたが、上映開始約20分後、談志師匠は突然「ええぃ、つまんねぇ!」と吐き捨てて、席を立ったのです。そして「あー、帰る、帰る。」と試写室を出て行ってしまいました。その時の配給会社の担当者の焦りっぷりを想像すると、そっちの方が気になって仕方ありませんでした。しかし、今は亡き談志師匠に言いたい!この映画はあなたが帰った後からが面白いんですよ、と。
試写では、談志師匠のことが最後まで気になり映画に集中できなかったのでもう一度素晴らしい映像と色彩、そして音楽を劇場で確かめたいと思った私は、再び映画館シネマライズに足を運びました。劇場は満杯で、当時のグリーナウェイ人気を証明、もちろん途中で席を立つ人もいませんでした。シネマライズの私の思ひ出…「コックと泥棒、その妻と愛人を観て、途中で誰も帰らなくて一安心。」
(Miyuki Homma)




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